2011/7/24

故大平昌彦先生を偲ぶページ

故大平昌彦先生を偲ぶページ



大平昌彦先生    

衛生学教室、先々先代の故大平昌彦先生は、クリスチャンであられ、寛容の精神でもって個性的な大学院生が大勢集まった岡山大学医学部医学研究科衛生学教室を大きく包まれ、数多くの人材を世に送り出す下地を作られました。


故大平昌彦先生を慕っておられるOBは非常に数多く、その先生方のご要望にお応えして、岡山大学大学院医歯薬学総合研究科疫学衛生学教室のホームページに故大平昌彦先生のページを作成することになりました。故大平昌彦先生に関する思い出話などをお寄せいただければ掲載させていただきたいと存じます(okayama.eisei@gmail.comまでメールでお寄せいただければ、本ページに掲載させていただきます)。

まず、大平先生が教授になられて10年目の「あらくさ第1号」において、先生が記された文章と先生のご退官までの略歴を掲載させていただきます。昭和33年、九州大学医学部より岡山大学医学部衛生学教室に赴任されました。その前後のご様子を、次のように記しておられます。労働衛生など衛生学を志す多くの若い医学研究者が集ってきた、当時の衛生学教室の様子を垣間見ることができます。

 

感ずるまゝ―謝辞に代えて―   より抜粋


ふりかえって見れば、大学卒業と同時に海軍に従軍し、軍艦ぼけ、戦争ぼけ、熱帯ぼけの三ぼけで空っぽになった頭をかかえて帰って来た私が、大学で研究生活を送ること自体が無理ではないかと思った時代もあった。時代も悪く、激しい物価の変動にスライドしない大学院特別研究生の奨学金を命の綱にしながらも、金はなくともヤミ米も買わねばならず、リュックサックを背に出かけた買い出し先の田舎の海岸の白砂に立って、将来への不安で、やる瀬ない気持ちで眺めた玄界灘が、心の中とはおよそ縁遠い鮮明な青さに輝いていたことが今も脳裏に焼きついている。

その私が、とも角、落伍もしないでこの道を歩んで来ることができたのみか、名門岡山大学の、この教室に迎えられて、緒方益雄先生の後任として、その輝かしい伝統を継承することになったということは、今にして思えば奇縁という他はない。

しかも、緒方先生から受け継いで、残された何人かのお弟子さんの研究のしめくくりをすれば、後は閑古鳥が鳴くのではあるまいかと思っていたのに相違して、どういう風の吹き廻しか、優秀な、元気のよい若手が続々と教室に舞い込んで、今や私には荷の勝ち過ぎる、これらの逸材のお世話に手が廻りかねるという悲鳴を挙げる始末である。回顧趣味を好まない私も、これには全く感無量といわざるを得ない。

もっとも、私には私なりの抱負もあった。労働衛生に志して飛び込んだ衛生学ではあったが、その基本的な領域の研究と、現場における活動との距離を強く感じた私には、「衛生学」という学問の抱える大きな矛盾への挑戦として衛生学の休系化への要求が次第に強くなっていった。

たとえ実験室の中の、どんな基礎的な研究であろうと、あるいは逆に現場、第一線の実践的な活動であろうと、何れも、それが「衛生学」的であるためには、働く者の健康のためという、はっきりした目標がある筈であり、その目標に貫かれた休系的な考え方が確立されなければ、この学問の存在価値はないであろう。それは、ピッツバーグ大学で、雑用を離れて、専心公衆衛生学を勉強できた一年間に、さらに強い私の願望となり、岡山大学で教育の直接責任者という立場に立たされた時に、一そう切実なものとなった。その頃の流行語「ヌーベル・バーグ」が、私の気持ちにぴったりだ、などと、いささか気障っぽいことを口にした記憶は、今にして思えば面はゆいが、その頃はそれなりに真剣に気負い込んでいたものである。そういう時に、次々と若い研究者が教室に参加して来たことは、私にとっては、幸運の一語につきる。(以下、略)

 

故大平昌彦先生ご略歴(ご退官まで)


1914年 7月1日福岡市に生まれる
1935年 3月福岡高等学校理科卒業
1939年 3月九州帝国大学学士試験合格
  〃   4月医籍登録第90681号
  〃   5月九州帝国大学医学部副手
同附属病院医員(第三内科)
  〃   7月海軍々医として従軍
横須賀海軍病院、海軍々医学校、聯合艦隊第四潜水戦隊、海南島陸戦隊、稚内通信隊、潜水学校、ラバウル潜水艦基地隊員に勤務
1946年 5月復員
  〃  10月九州大学大学院特別研究生
1948年 9月同上満了、文部教官助手(九州大学医学部)
1950年 5月九州大学医学部助教授
1952年10月医学博士
1954年 6月アメリカ合衆国留学
  〃  年 9月ピッツバーグ大学公衆衛生学部入学
1955年 6月同上マスター課程修了 Master of Public Health(MPH)
1957年 6月岡山大学教授(医学部衛生学講座)
1961年 2月医師試験審査委員(国家試験)
1966年 4月第36回日本衛生学会総会(岡山)会長
1966年 6月欧州各国に出張
International Health Congress(The Haag), International
Congress on Occupational Health(Vienna)出席
1972年 2月学術審議会専門委員、科学研究費(第一段)審査委員
1973年10月労働大臣功績賞(労働省)受賞
1974年 7月アメリカ合衆国出張
International Congress on Radiation Research(Seatle)出席
New Mexico州ウラン鉱山他ウラン製錬関係施設視察
Univ.Texas(Houston)公衆衛生学部で講演
1975年 2月学術審議会専門委員、科学研究費(第二段)審査委員
1975年 4月第49回日本産業衛生学会
第20回日本産業医協議会(岡山)開催企画運営委員代表
1975年 9月連合王国出張
InternationalCongress on Occupational Health(Brighton)出席後、Royal College of General Practitioners(London)に滞在、英国のNHS制度G.P.の実情を視察
1976年 9月科学技術会議専門委員(内閣)
1977年10月ポルトガルおよび連合王国出張
Encontro International Para Medicina do Trabalho(Lisboa)出席後ポルトガル各地、連合王国を視察、両国の保健医療制度を調査
1980年 4月定年退官(岡山大学名誉教授就任)

 

 

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2011/7/6

EHPに掲載された水俣病総論論文に対するレター出版のお知らせ

Environmental Health Perspective誌に2010年に掲載されました水俣病総論論文に対するレターが掲載されました。その総説論文はenvironmental health research implicationsというタイトルでしたが、以下のような点で問題がある(歴史を彎曲し大事なimplicationを伝えていない)とレターで指摘しています。①病因物質(メチル水銀)がわからないと対処できなかったように記載していること、②メチル水銀中毒の診断が難しかったように記載していること、③2009年に成立した特別措置法により残っているメチル水銀曝露有症者に補償が行われているように記載していること、④40年経ってチッソ工場内での猫実験が公表されたかのような(間違った)記載をしていること、⑤水俣病の場合、政府からの研究費が利益相反を引き起こす可能性があること。

Toshihide Tsuda, Takashi Yorifuji, Masazumi Harada. Environmental health research implications of methylmercury. Environmental Health Perspective 2011; 119: 284 (Correspondence)

本論文へのリンク(PubMed)

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